心の科学

  「得は迷いへの道、損は悟りへの道」という仏教の言葉がある。誰の言葉だったか。内山老師の言葉か。まさに言葉通りであろう。

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 常日頃、自分の心を観察する。毎日一回ではない。四六時中、起きているときは常にである。
 実生活では、そうはいかないであろう。生活するための心を働かさなければならないからだ。しかし24時間の観察を理想の姿として心に植え付ける。

 朝起きたら、朝の心を観察する。朝の心は乱れている。眠りの中で心は自由奔放に動き回ったからだ。だが乱れていると同時に、過去に経験した事柄への囚われからも解放されているので、心を観察し、心を整える絶好の機会でもある。
 布団から出ずに、ベットの中で観察するのはよろしくないようだ。横たわった体はいつまでも睡眠モードから抜け出せないため、つまり横たわった脳はいつまでも睡眠モードから抜け出せないため、乱れた意識で心を観察することになってしまう。布団から抜け出し、心身共に整えてから、静かに座って心を観察するのがよい。

 普段の意識から隠れた、自動的に動き出す、電光石火の0.1秒にも満たない思考が、見えてくるようになる。外部からの刺激により瞬時に動き出し、その思考の結果、なんらかの感情が生まれでる。

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 一杯のお茶を飲む。その貴重な経験を無駄にしてはいけない。
テレビを見ながら、ただ無意識に口に運んで飲む。なんとその貴重な経験を無駄にしていることだろう。ただ水分を補給するだけの行為に終わってしまい、どのような香りだったか、どのような味だったか、飲み終わった時にはとんと覚えていない。それどころか飲んだことすら意識にない。
 「忙しいのだ」というのは、たんなる言い訳に過ぎない。よくよく自分の心を観察してみると、それは自分に都合のよい説明を思いついただけのことであり、本当は目の前にあるテレビという刺激の誘惑に負けて、テレビに引き込まれ、偽りの快楽に囚われているだけの事である。

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 目の前にぶら下がっている欲求に応じるのはやめよう。それは偽りでしかない。
 欲求にはポジティブな欲求と、ネガティブな欲求がある。
 ポジティブな欲求を実行したときの満足感がどのくらい持続したか、よく観察してみよう。また過去に、欲求を満たしたことによる幸せが、どの程度持続したか思い出してみよう。数時間ほどしか持続しなかったはずだ。
 ネガティブなことも、そんなものは望んではいないと思うかもしれないが、それは欲求だ。欲してはいなくても、心はそれに強く囚われていて、結局のところそれを考えたいのである。

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 いつがまっとうな精神状態であると言えるのか。メタ認知の状態であるときだ。仏教で言えば、空の状態だ。

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 酒はあなたの脳を支配する。

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